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自転車泥棒 LADRI DI BICICLETTE [Social Problem 社会問題]





自転車泥棒に自転車がプレゼントされたそうだ。AFPが中国時報の記事を伝えている。



因みに中国時報と聞いて大陸の中国と考えると間違いで、これは台北にある新聞社だ。
台湾では国民党が一党独裁であった戦後も中国を名乗り続けていたから、国民党系ももちろんだが、外省人系の企業で冠に中国を名乗る企業は多かった。


民進党が政権を握って、名前を中国から台湾に切り替える政策を取ったので、中国の文字は多少は減っただろうが、中国の二文字は台湾では今でも多い。




AFPの記事は首都である台北市の写真をイメージで使っている。
嘉義市というのは台湾南部の地方都市だ。田舎なのでAFPには嘉義の資料写真がなかったのだろう。

嘉義というのは戦前生まれの方なら記憶のある地名かも知れない。戦前には、
嘉義農林高校が台湾代表で甲子園の高校野球大会にに出場して準優勝し世間をあっと言わせたこともあるのだね。




さて、自転車泥棒ということだが、何せ田舎の事件だ。
取り調べた警官たちが容疑者の余りの極貧ぶりに金を出し合ったんだそうだ。台湾の田舎にはまだまだ下町の人情があるんだな。
そんな人情話が国際ニュースになる時代。
日本では、それも特に都会では下町人情は絶無に近い状況になりつつあるし、田舎もどうだろうか?





私は台北市内に駐在していた時に、自転車を所有していた。
自動車も業務兼用でリース契約で所有していたが、自宅近くはとても大きな学生街で徘徊するには自転車が便利だったからだ。


その自転車で、食堂に行くと歩道上にいつも自転車をおくのだが、
余りに頑丈なロックをするのが面倒で時々店員のお姐さんに「鍵はかけたか?」とよく忠告されたことがあった。
「盗まれるわよ」って。


だから、ロックはするようにしていたのだが、その日は自宅マンションすぐ側のスパゲッティ屋で私は常連客でもあったし、
慣れがあったからだろうが、店の前にそのまま自転車を停めたのだった。
慣れというのは恐ろしいもので、ロックをしていないし、座った席ガラス窓を背にする位置だったので
気にするべきであったが、店を出る時には見事に消えていた。


お気に入りのマウンテンバイクであったが、警察に届ける気にもならなかった。
防犯登録をしていなかったし、台北市の一大学生街であって朝から晩まで人で賑わう街。
見つかるはずもないだろうと即断して、お店のママさんにも何も告げず諦めて帰宅したのであった。









" The Bicycle Thief " 1948






「自転車泥棒」観たことがないので語る資格がないのだけど、イタリアン・ネオリアリズムの代表作、
名匠ヴィットリオ・デ・シーカの「自転車泥棒」を思い出した。

ラストシーンのそれを観ると、戦後の混乱期とは言え、下町人情がその背景に窺えるようでもある。




世界的傾向なんだろうけど、拝金主義が横行し、貧富の差が拡大する世界で地域社会での人々の結びつきは希薄になっていきつつあるだろうか。


振り返って自分を顧みると、近所付き合いが煩わしい自分がいる。
一戸建ての古い建物で、空き家になっているのか、以前からの人が今でも住んでいるのか、分からなかったりしている。



日本人社会は下町人情どころか、人々が生きているのか死んでいるのかさえも分からない社会になりつつある。


最近はそれを無縁社会と言うらしい。


こんなことでいいのだろうかね・・。










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コメント 2

youzi

北京にいた時、私も自転車を取られました。
あの頃、鍵をかけておいても、道路沿いの場所にとめておくと、
トラックでやってきて、自転車をそのまま盗って行くので
ビックリしてしまいます。
by youzi (2010-09-13 10:45) 

大黒屋

youziさん

中国は強盗も窃盗も犯罪は少々荒っぽいですね。
台湾は誘拐など凶悪事件が頻発した90年代に比べると
随分と治安はよくなったみたいですよ。

by 大黒屋 (2010-09-13 18:02) 

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