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"本能寺の変が松坂屋を創った" その3 Garden Story in Nagoya [写真 Photograph]


名古屋の高級住宅街とは言え、都会の喧噪から離れた空間にいると
激動する現代社会の時の流れも一時は忘れるかのようだ。







白雲橋
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白雲橋
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本能寺の変から400年余り。
長い長い時の流れ・・。


だが、私の人生も半世紀余りとなった。
しかし、生きてみると人生はかくも短く、時の流れは早い。


子どもの頃に学習した明治維新はその時から1世紀前の出来事。

何ともとんでもない昔の歴史の中の話と感じていたが、
時の移ろいとはこうも早いものであったのかと感嘆も覚える。

人生の終末をどう迎えるか、早くも考えるようになってきたよ。








三賞亭
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さて、四半世紀も前に松坂屋伊藤家最後の社長ご令嬢に許可を頂いて見学した揚輝荘。
松聴閣を訪れてその歴史的な顛末を知るにつけ、これは凄いなとも思ったものだ。


その触りは今ならここに説明されている。






当時の私はいつかこの揚輝荘の歴史をまとめてみたいと思ったものだったが、
仕事に追いまくられて、その思いを果たせないまま時が流れてしまった。


その後、書店の店頭である大作家の新刊本が平積みにされて驚いた。



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やられたと思ったよ、上坂先生に先を越されたんだよね(笑)。
そうか、ノンフィクション作家の上坂先生は地元豊田出身だったんだ。知らなかった。


先生は去年お亡くなりになったが、この本は余り売れなかったのだろうと思う。
今では中古本でしか手に入らない。
当時は、地元名古屋でも揚輝荘のことは知られていなかった。


戦前にアジア各地から集まった錚々たる面々。
外国人留学生たちと風雲急を告げる当時の世界情勢。


不思議な時と縁がここにはある。
しかし、残念なことに松聴閣の見学は要予約に日時限定で今回は叶わなかった。
ここにこそ見る価値はあるはずなのだが、また別の機会ということで。





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一般公開となり、四半世紀ぶりに見学にお邪魔して管理の男性に教えて頂いたのだが、
先日、発刊されたばかりの
内田康夫著「不等辺三角形」はミステリーなのだけど、実はその舞台はここ揚輝荘をモデルに書かれていると言う。


その揚輝荘に関わる話の90%はフィクションではなくて事実なんだそうだ。
ミステリーの大作家も随分と丹念に取材を重ねるんだな。
取材と歴史的事実を重ねれば別冊ノンフィクションでもいけるだろうに。





不等辺三角形.jpg



























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戦前はここ揚輝荘の地に30を超える建物があったという大邸宅。
近代日本の大女優、川上貞奴も一時期、ここに住んでいたらしい。






何とも数奇な運命の歴史がこの大邸宅の地で積み重ねられてきたらしい。
本能寺の変をはじめ400年の時の流れに思いを馳せていれば、
明日の我が身も忘れて時の流れも止まるのだろうかね。



しかし長く止まり過ぎると、ある意味では不安も覚えたりするから困ったものだ。
世界の時の流れから取り残されるような不安感。余りに忙しかったかつての職務の後遺症かな?











”本能寺の変が松坂屋を創った” その2 Garden Story in Nagoya [写真 Photograph]



戦国時代に武士から商人になったという松坂屋代々伊藤家の始祖。
商人となり、商売繁盛の精神は徹底していただろうか。


揚輝荘の一角には何とお稲荷さんまで祀られていた。そこにあったのは豊彦稲荷。


私邸の敷地内に神社まで建ててしまうのであったからスケールが違う。


当時は松坂屋の商売繁盛を祈願していたことだろうけど、
今ではそれをここでお願いする人はもういないのだろうか。






豊彦稲荷
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私邸の中に神社まであった訳なのであるから驚きだ。









ここの狐様がくわえているのは何の巻物なのだろうね・・
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豊彦稲荷
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戦前時の土壁だろうか・・空襲で焼け残ったということだろうか
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大きな倉
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こちらは「揚輝荘の会」のHP。





ここには歴史的な謂れなど様々な情報が記載されている。




松坂屋の先行きは分からないけど、揚輝荘がこのように名古屋市やNPO法人の手で
保存されていくのであるから、代々の伊藤次郎左衛門翁も感慨深いかも知れないな。







”本能寺の変が松坂屋を創った” その1 Garden Story in Nagoya [写真 Photograph]



かつて名古屋の五接家と言えば、松坂屋、中部電力、東邦瓦斯、名古屋鉄道、東海銀行の地元5大名門企業であった。


だがその後、東海銀行が合併で消滅し、松坂屋も名を残してはいるものの、
合併で名古屋から本社が転出してしまったので、もはや名古屋の名門企業とは言えなくなってしまった。


かつての名古屋五摂家はもはや死語ととなってしまった訳で寂しい限りであるが、
私の自宅から程ない所にかつての松坂屋代々の社長宅がある。


それが揚輝荘だ。






揚輝荘
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実は松坂屋創業の伊藤家で最後となった松坂屋社長ご令嬢とはある御縁があって、
四半世紀ほど前に、この揚輝荘を見学させてもらったことがある。まだ私邸であった頃のことだ。



当時は伊藤家の松坂屋第17代社長、伊藤次郎左衛門の時である。
名古屋東部丘陵地の覚王山にある広大な敷地であった。


訪れて驚いたのが、歴史的な謂れであった。
何とも多様な物語があったのかと感嘆したのだが、
その直後、名門松坂屋で御家騒動が起きて、遂には伊藤家は追放されてしまう。


大番頭のクーデターであった。何とも驚いたものだが、こんな謀反で松坂屋は転落が始まっただろうか。


名門の伝統を駆逐してしまった付けは如何にも甚大であったように思う。
結果的に本社は名古屋から消えてしまったのだから。




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ところで、松坂屋創業は明智光秀が謀反を起こしたことがきっかけになったと言ったら、意外に思われるだろうか。


織田信長の側近であった伊藤蘭丸祐道が本能寺の変で主君が亡くなり、武士から商人へと転じたのだそうだ。
これからは商人の時代であると人生観を転じたらしい。


それも何と48歳の時であったと言う。
当時のその年齢はもう人生を全うしてもおかしくない頃であった訳であったし、
武士から商人になるという勇断には何とも凄いなとも思ってしまう。




それにしても信長同様で先見の明があったと言えようか。
その後、その商売は何と400年以上も続いて繁栄したのだから。


だが、名古屋・本町で始めた「いとう呉服店」が商売繁盛していた時、
大坂夏の陣で何故か祐道は再び刀を取り豊臣勢に就いて結局、戦死してしまう。







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しかし、いとう呉服店は伊藤家の遺族によって、その後も商売繁盛を続け、前世紀には遂に頂点を極める。
名古屋は覚王山1万坪の地に移築と大邸宅の建築が始まったのは1918年からであったと言う。


それにしても、この地を選んだのは織田信長の因縁を感じない訳にはいかない。
大通りを挟んだすぐ向こうの丘陵地には信長の父・信秀が築城した末森城跡がある。
だがその後、末森城主となった弟の織田信行は信長に殺された。


何と言う因果だろうか。
その地のすぐ脇に信長の家臣であった武士の末裔が大邸宅を築いたのだから。







伴華楼
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揚輝荘は今では名古屋市に寄贈されて一般公開されている。
名古屋大空襲で、ここにも多数の爆弾が投下されて、少なからずの建物は消失したそうだが、
貴重ないくつかの建物は焼失を免れた。


写真の伴華楼では年始にいつも書き初めが今でも行われて、時々地元のニュースになったりもしている。
しかし、四半世紀前に見学させてもらった聴松閣は見学日が限定されて要予約だそうだ、残念。






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揚輝荘にはこの他にも優雅な建物が続いている。
その様子はまた改めてということで・・。









Over The Rainbow    虹の彼方 [写真 Photograph]


今日、夕方出かける時に見上げた空。
何だか妖しいほどにオレンジ色なんだなと思っていて、ふと東の空に目を移すと何と「虹」が!





Today's NAGOYA
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慌てて自宅に戻ってカメラを持ち出すが、18mmワイドレンズでも虹の全てが収まらない。
よ〜く観ると写真では分かりにくいけど、虹の本体の外側にも薄らともう一本の虹が。


こういうのは珍しいかな。
だが、全体を撮りきれない。


そうこうする内に虹は徐々に消えていってしまったよ。
儚いな・・。




ほんとうに久しぶりの虹。
考えてみると1年前に母が倒れて、秋に Lara が逝ってしまって、この1年何一ついいことがなかったよ。


虹を見ることもなかった。






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何か良いことが起きないだろうか。
妖しいほどに広がったオレンジ色の茜空。



人生を変えるには神頼みしかないだろうか。
それとも虹の彼方を望むため、オズの魔法使いにでもお願いするかな。




ジュディ・ガーランドが歌うこのパートはセピアカラーだけど、
オズの国ではカラーだった。



モノクロから総天然色に変わるほど突如の転機は訪れてくれないかな。
そんな夢の為にオーバー・ザ・レインボーを口ずさんで人生の転機を図りたいのだけど、出口はまだ見つからない。











"Over The Rainbow" by Judy Garland 1939  「虹の彼方に」

”The Wizard of Oz”  1939   「オズの魔法使い」

















Today's NAGOYA
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トリミングしていない夕焼けの写真。
電柱の先っぽが中途半端だな。


まるで、今の私の人生みたいにも見えるんだけど・・。














黄昏の桜  Cherry Blossoms at Sun Set [写真 Photograph]




きょうは雨。名古屋も少々の冷え込み。
桜吹雪の写真でもと思ったが、こんな天候ではね。


よって先週金曜日、名古屋は平和公園。夕暮れ時の桜ということで。





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こちらが伊勢湾台風の慰霊碑。
夕焼けで紅く染まる桜に包まれている。







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今年はきょうの雨で桜吹雪になる前に花がほとんど落ちてしまった。
海外の皆さんにはYouTubeで見つけた映像で見て頂くしかないね。














それにしても、こんな優雅な光景を楽しんでいられる日本はほんとうに平和だ。


キルギスはビシュケクの知人から返事が返ってこない。
政権転覆の争乱は治まらず、内戦の危機にもあるとされている。
背景には国境を越えて諜報機関の綱引きもあるだろうか、心配だな。




バンコクではロイターの日本人カメラマンが射殺されてしまった。
前線に赴くジャーナリストにハイリスクは付き物だが、バンコクの争乱で弾丸を受けるとは
ご本人も想像していなかったのではないだろうか。お気の毒なことだ。




ロシアでは週末に東西辺境で事故が相次いだ。
スモレンスクの墜落事故。
霧の中を強行着陸しようとしたのが原因とされているが、もしそうであるならパイロットには辛すぎる。

カチンの森事件の70周年追悼記念式典に間に合わせるかどうかギリギリの判断をしただろうか。

隣国ベラルーシの首都ミンスクに降りたとして、車の移動で数時間。
その辺りはバスで移動したことがあるのだけど混み合う路線ではないし、そういう判断もあっただろうが。




世界は深くため息をつきたくなるような出来事が潰えることがないのだね。


桜の森から・・合掌。













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