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100,000年後の安全 Into Eternity [Environment 環境]




福島第一原子力発電所の危急事態が継続している。無事に終息するのか現時点では誰にも分からない。
一つ言えることは世界唯一の被爆国であった日本が何と人類史上最大級の原子力災害危機に陥っているということだ。
大地震、大津波で世界から同情を集めた日本だけれど、この事態を何と言ったらいいだろうか?
唯一の被爆国が現状で世界最大の放射能汚染大国に成り下がってしまっている。
一歩間違えれば、チェルノブイリを上回る危険さえ継続したままだ。


こういう時に東京では放射性廃棄物の最終処分場を描いたドキュメンタリーが上映されて注目を集めているらしい。

何とまあ、もし終息したとしても廃炉に10年かかるというのだが、そんなことより放射性廃棄物の安定化に10万年かかると言うのだけれど、一体誰が10万年の管理責任を取れると言うのだろうか???


















 








フィンランドは何度も行ったことがあるし、北極圏をヒッチハイクでトレーラーに乗せてもらい長距離を走った事もある。
運転手はノルウェー人だったけど、日本の人口を問うてきて「そんなにいるのか?信じられないよ」と反応してみせた。
そんな北欧でも、原発はあるし、放射性廃棄物をフィンランドでは地下500mで処分を進めているということをこのドキュメンタリーで初めて知った。


地方在住の者には東京まで出かけて行って観るのは簡単ではないのだけど、YouTubeでこの映画をアップしてくれていた。
CCのクリックで英語でも日本語でもスペイン語でもロシア語でも翻訳キャプションを出せるのでご覧になる方は
それを使うと便利だし内容を理解出来るだろう。










  
 
















 









フィンランドは人の数より湖の数の方が多いと言われるほど、自然豊かな国だが、そんな人口密度の低い所でも
地下で放射性廃棄物を処分するというプロジェクトを進めていたのだ。
フィンランドに地殻変動があるかどうかは知らないが、放射性廃棄物が安定安全になるまで10万年が必要?とされるそうだ。
そんな人類が生き残っているかどうかさえ分からない未来にまで現代の構造物が残っているとは考え難い。
ドキュメンタリーは原子力の問題を抱えながら人類が安全に暮らし、この先も生きて行けるかどうかを問いかけている。

































現代人が必要とするエネルギーとして原子力を使い続ける限り、死の灰は大量に生み出されて行く。
20世紀、21世紀に生きている私たちは未来に責任を果たしていると言えるだろうか?
他の生物を次から次へと絶滅に追いやり、人類だけが繁栄してそれでいいのだろうか?
そして、地球の支配者たる人類は自らの未来を脅かす恐るべき多数多種類の毒を出し続けている。
放射性廃棄物は核爆弾と共に自らの未来を毀損する自縛行為だ。



このドキュメンタリーは現代人に哲学的な命題を投げかけている。
原子力エネルギーに頼る現代人。その子孫に脅威を与え、負の遺産を大量生産し続けていることが分かっていながら、それを止めることが出来ない。




















日本でも岐阜県瑞浪市に超深地層研究所なる実験施設が稼働している。






これは原子力研究開発機構が建設して1000mもの深い穴を掘ってフィンランドに先を越された形ではあるが
同様に放射性廃棄物を数万年から10万年という長きに渡って安全管理しようというものだ。
ガラス固化等の技術を使えば数百年の単位で廃棄再利用が可能ということだそうだが、そんな未来の子孫に恐るべき負の遺産を引き継がせる権利が現代人にはあるというのだろうか?
私にはそれは狂気の世界にしか思えない。



日本人は広島、長崎で使われた核爆弾の恐ろしさを世界に訴えて来たが、福島で今や未曾有の天災が引き金になったとは言え、人災つまり自らの落ち度により放射能汚染で世界に脅威を与え続けている。
世界で増殖し続ける人類は20世紀前半の人口つまり、半減させれば原子力エネルギーなど必要なくなる。


私たちは私たちが未来に生存すること、それをどう考えるべきか一つの分岐点に立っているのではないだろうか?
もう既に日本人はそういう分岐点に立っていると考えたいし、仮にも原子炉爆裂などの事態が起きて更なる悲劇となれば、私たちの文明とは何なのか?根本を問われることになるだろう。


今、TVで福島の被災者の方が「原子力などなくても、私たち家族が生きていければそれで良いのだ」と語っておられた。そのとおりだと思う。









名古屋で積雪 Snow in Nagoya [Environment 環境]






ニューヨークで大雪だったそうだが、1978年1月のニューヨークはもっと大変だった。
あの年は北米大寒波の年であったから、道路や家屋が凍結途絶するなどで凍死者も多数であった。
西海岸からニューヨークへ放浪の旅を長距離バスで移動してニューヨークへ辿り着いた私であったが、見る間に降り積もる雪でニューヨークは麻痺状態。


五番街であったか、メトロポリタン美術館へ徒歩で北上しようとした私も猛烈なブリザードで風上に向かって歩くことを断念せざるを得なかった。
顔に当たる吹雪の氷粒が余りに痛く、その感触を今でも憶えている。
信号待ちで隣りの女性が「もうまるでロッキー山脈みたいだわ」と嘆いていたのも鮮明な記憶だ。


マンハッタンだというのにまともに進行出来るのはスキーで移動しているニューヨーカーだけだったのだ。
人も車もあらゆる交通機関も麻痺状態。国連や美術館などことごとく閉鎖になってしまって観光客にとっては酷い冬であった。

 



そう思っていたら、日本も全国的に激しい降雪となっている。名古屋も未明から雪が降り始めて、朝には雪が積もっていた。








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夜に入っても断続的に雪が降ったりで、山村に来たような趣きだ。
それにしても、北米もユーラシア大陸も大雪だったりする一方で、南半球では集中豪雨による洪水で死者が続出している。


果たして温暖化が気象異変をさらに拡大しているかどうかは気象学者や地球科学者に聞くしかないのだけど、
単に温暖化だけの問題ではなくて、人間は自らの繁栄の為に世界各地で余りにも人工的なメスを地球の大自然に対して
畏敬の念を抱かず傷つけまくってきたこと、その反動として今や我々に襲いかかってきているのだろうとさえ思える。






ところで、北半球や南半球の天変地異をニュースで見て、我が身も雪で閉ざされていたら、何故だか温暖常夏のキューバのことを思い出してしまった。












 
" Laberinto De Passion "  By Kemell
 








”Laberinto De Passin” は Kemell の中でも お気に入りの曲だ。
それもこの曲は日本だけのボーナス曲らしい。だから海の向こうの連中はこの曲を知らないと思われる。
CDはもっていたが、YouTubeで日本人の方?がアップして頂いたようだ。 Videoの写真編集も実に素晴らしい。


元々がアヲハタジャムのTVコマーシャルで使われた曲であって、その時の映像もこのコロニアル風のホテルが使われていたと思う。
何とも優雅で哀らしいメロディがサルサだけではないキューバの香りを伝えてくれる。
ご機嫌だな。気持ちだけは常夏キューバに思いを馳せるとさせていただこう。












" Mambo No.6 "  By Masayoshi Takanaka 








私は90年代半ばにキューバを訪れたことがある。そこで驚いたことは数々あったのだけど、
その一つが道を走る車がどれもこれもクラシックカーであったことだ。
それも1950年代の米国車。テールにフィンがデザインされるなどキューバ以外では自動車博物館でしか
お目にかかれない車がごく普通に町中を走っていたのである。それは今でも変わらないようだ。





欧米も日本も大雪で閉ざされて、経済的にも人生の上でも閉塞感を伴う時代になってしまっているし、
キューバは発展から取り残され経済も立ち後れたままの貧乏国ではあるが、人々の心模様はどうだろう?


幸せ感は少なくとも我々とカリブの風を受けて生きている人たちとでは大きく違うんだな。
ハバナ辺りでカリブの風を感じながら、しばし暮らしてみたいと夢想するのも悪くないね。


私が出会ったキューバの老人。ヘミングウェイが書いた「老人と海」のモデルとなった老人だ。
彼は晩年をキューバで暮らしたヘミングウェイの釣り船の船長であった。
90年代半ば、その老人はまだ元気で毎日シーフードレストランに無料招待されていて食事に来ていた。


もう亡くなられただろうけど、今夜はヘミングウェイやあの老人のようにカリブで晩年を過ごす夢を見てみたいなあ。







COP10 生物多様性条約会議 最終日へ [Environment 環境]




名古屋で開かれて来たCOP 10もいよいよ最終日となった。
名古屋議定書がどうなるか、その結果次第で、この日記にも後ほど追記をさせていただきたい。






















Chernobyl チェルノブイリの悲劇 [Environment 環境]


     

ウクライナのチェルノブイリ原発であの悲劇が起きてから、早くも四半世紀が過ぎようとしている。
そのチェルノブイリ周辺は死の街となり、文字通りゴーストタウンと化した訳だが、この外電には驚いた。

チェルノブイリが観光地?う〜〜〜ん。
雑誌Forbesが世界のユニークな観光地として紹介した内の一つらしい。
よって昨年の入場者数?が7500人! 入場料は4000円。何と言ったら良いのかな。


私はウクライナに何度も行ったことがあるし、もっと放射能被害がひどかったベラルーシにも何度も行ったことがある。
その国境を列車で越える時にはチェルノブイリに接近し、放射能影響を受けた地域に入るのでいつもいい気分はしなかった。

















当時、私の後輩が事故から数年後にチェルノブイリ原発の事故現場まで行ったのには驚いた。
事故当日、ヘリコプターで上空から撮影したカメラマンも操縦士も全員間もなく亡くなったはずだ。
どれほど危険だったのかは理解していたはずだが、果敢にも原発内部まで撮影して帰って来た。
彼もカメラマンもとりあえず健在だ。しかし、被爆したことに変わりはない。


ウクライナやベラルーシでは放射能被ばくの影響によると思われる甲状腺がんなどの症状が住民に多発している。
私の知人の家族も甲状腺がんに見舞われている。本人だっていつ発症するか分からないから、漠然とした不安をもって生活していることだろう。


ハンガリーの毒性廃液の大量流出事故も人災とされている。人類が暮らしていく上で利便性を追及することばかりが優先されて、環境を守り私たち自身の暮らしを守る視点が金儲け優先社会で後回しにされている。
これはもう世界的な話だ。私たちの未来は明るいのだろうか?とても輝かしくは見えないのだけどな。






COP10 Nagoya 生物多様性条約会議・名古屋 [Environment 環境]





きょうから名古屋で始まったMOP5に来週から始まるCOP10。
ジョグラフ事務局長は参加者が4万人、世界から集まるジャーナリスト1800人とインタビューで話していた。














この国際会議は今後の地球環境を守る方向性を定めることになるから、是非成功して名古屋議定書が世界に轟く様にしてもらいたい。
まあ、COP10が成功しなくても例え物別れに終わったとしても、この会議の実情を名古屋から世界に発信してもらいたいものだ。




ところで、1992年、ブラジルで開催された国連地球環境サミットで12歳の少女が感動的なスピーチをしたことを憶えておられるだろうか?
私は彼女がどういう子なのか知らないままであったが、本日のNHKで彼女や、彼女の家族が番組で紹介されていた。
彼女は12歳で!あの感動的な原稿を自ら考えたのだそうだ。













何と言うか、彼女の父親はカナダでは有名な生物学者で環境レギュラー番組のキャスターを務めるジャーナリストでもあったそうだ。
環境プロファミリーという家庭環境があったからこそ、子どもの頃から感性を磨き世界を感動させたのだろう。


父の名は David Suzuki。そのSuzuki氏が名古屋の会場を訪れて番組に生出演していた。
Davidさんは日系3世なのだそうだが、祖父は何と愛知県の出身だったそうな。名古屋のMOP5/COP10に何やら不思議な縁もあるようだ。



彼らは、カナダ・バンクーバー周辺の先住民族居住地域に住み、自然と共生する暮らしをしているらしい。
自然の恵みから食を頂き、自然とともに暮らす人生。ちょっと憧れてしまったな。















それにしても人類は数が増えすぎている。人類だけが食物連鎖の最高位に立ち、多生物を根絶やしにしている。
こんなことが許されていいはずがないだろう。私が生きている僅かの間に人類は2倍以上に!増殖してしまった。



人類の数を如何にして減らすのか、抜本的対策が求められてしかるべきだが、未だそういう方向にはならない。
一部の国を除いて、例えば日本でも人口は増えなければならないというのが政府も国民も同様のコンセンサスになってしまっている。



しかし、世界中の国々がこんな判断を続けていけば、いずれ不可逆的限界点に到達してしまうだろう。
気がついた時には終わってしまっているかも知れないのだよ。









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