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Dr.Strangelove 博士の異常な愛情 [Cinema 映画]

先日、話題のSF映画を観に行って、少々疲れた部分があった。何がかと言うとカメラワークの問題であったのだが、
そこで思い出したのが、往年の傑作SF、ブラックコメディの最高峰とも言うべき映画。


SF映画では20世紀のベスト10には入るだろうし、そこにブラックユーモアの要素を
併せ持つという点ではこの映画の右に出るものはないと思う。


その映画とは「博士の異常な愛情」1964年公開の英国映画だ。  正式なタイトルは

「博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか」

Dr. Strangelove or: How I Learned to Stop Worrying and Love the Bomb   という実に長いタイトルだ。



その長いタイトルの映画のオープニングを飾るタイトルバックは実に美しい。
B52の空中給油とは裏腹の余りにも甘美なメロディ。
核戦争をテーマとしたSF、ブラックコメディとは思えない優雅で美しい導入部分だ。









"Dr.Strangelove"  Opening Title Back






先々週、観に行ったのは実は映画「第9地区」"District 9" だった。
様々な評判が飛び交っていたので、一応観ておこうという気持ちで映画館に足を運んだ。


「ハエ男の恐怖」"Fly" や「インデペンデンス・デイ」"Independence Day" とか
「未知との遭遇」"Close Encounters of the Third Kind" やら何やら
過去のSF作品多数のエッセンス満載という映画だ。 突っ込み所も満載だよ。



まあ、色んなブログで取り上げられているので、ここではこの程度にしておこう。
内容はともかく、少々気になったのが実はカメラワークだ。



アカデミー賞を取った「ハートロッカー」"Hurt Locker"では、緊迫した場面はそのカメラワークに
依るところが少なくなかったと感じたが、観ていてかなり疲れたものだ。


3Dを観ると疲れる、気分が、という方もいたようだが、ハートロッカーは計算されたカメラワークとも言えようが、
第9地区は途中でこんなにカメラを振り回していては、疲れるを通り過ぎているぞという程なのだ。


ちょっとやり過ぎだろうと思えるほどで、ブログを拝見すると途中で観るのを止めて出て来てしまったいう人もいたようだ。


その点、古典的映画と言うと故スタンリー・キューブリック監督には申し訳ないのだがこの映画界の巨匠の
作品には画期的な表現撮影法が積み重ねられてきたことは、その作品群を観れば分かって頂けるだろう。




映画「博士の異常な愛情」は妄想に取り付かれたアメリカ空軍の将軍が核搭載のB52爆撃機多数に
ソビエトを核攻撃する指令を発したことから人類が破滅するか否かの瀬戸際に追い込まれる情況を描いている。









"Dr.Strangelove"  First Scene







1964年公開のこの映画をその後TVで観て、衝撃を受けた私。
70年代に入って、東京で学生生活をおくっていた私は池袋の文芸座で、この映画がかかった時、真っ先に駆けつけたものだった。


敢えてカラーではなくモノクロ映画で撮影されたこの映画は
ブラックコメディでありながらニュース映画の延長にあるようなリアリティも感じたものだ。


この映画が製作されていた頃は核戦争が現実の話であったからだ。
キューバ危機でアメリカとソビエト双方が核発射ボタンに指がかかるほどの緊張状態もあったのだから。



恐らく一般的な映画で戦闘シーンがこのような手持ちカメラワークで
撮られたのはこの映画が最初だったのではないだろうか?


戦闘シーンはこの次のYouTubeの後半で出て来る。
緊迫した戦闘シーンを当時としてはとてもリアルに表現しているよ。









"Dr.Strangelove"   Battle Scene  
 







この映画が上映されたのはケネディ大統領が暗殺されて、ベトナム戦争が拡大泥沼化していく頃だった。
テレビニュースで、アメリカ軍部隊に従軍したニュースカメラマンが戦場を16mmフィルムで撮影した
生々しい戦場がそのままお茶の間のテレビに流され始めた頃だ。


そういう影響をキューブリック監督も受けていただろうか。
商業娯楽作品とも言うべき映画でこの手持ちカメラの荒々しい撮影法がそのまま導入されているのが
お分かりだろうと思う。


この映画で観客はニュースカメラマンの視点でそれを観ることになったが、
その後、進歩発展していく映画技法では例えば「ブラックホーク・ダウン」"Black Hawk Down" のように
観客はそのまま戦場に引きずり込まれるような表現に至ることにもなった。




それにしても、B52のコング少佐が水爆と共にシベリアの大地に吸い込まれて行くシーンは
シニカルとは言え、狂気に満ちた凄まじいシーンだ。









"Dr.Strangelove"  Final Scene






ミサイル被弾で故障したB52から、故障から誤って核ミサイルにに股がったまま墜落していくコング少佐。
まるでカウボーイのような叫びとその姿に笑ってはいられない恐怖もまた
キューバ危機を目の当たりにした人々は感じたことだろうと思う。



80年代に入っても、モスクワオリンピック、ロサンゼルスオリンピックと東西双方がボイコットするなど
冷戦構造は誰が考えても瓦解しようがないと思っていた。


が、世界の構造は変化する時には、ある日突然変貌するのである。




水爆が炸裂しまくるエンディングシーン。
誤解を恐れずに言えば、オープニング同様、ブラックコメディとは思えぬ切なくも美しいシーン、
往年の名曲 "We'll Meet Again" の調べと共に私たちは人類の近未来に思いを馳せる。




私たちは地球上で人類が作り出した地上の核融合という最終兵器の炸裂を観ないで生きていけるだろうか。


「また会いましょう」とシニカルな台詞を近未来の人々が歌うことのないよう願って止まないが・・。











"Dr.Strangelove"  Ending Scene 
"We’ll Meet Again"










I hope it will not come to the end of the world...







3D + ULTIRA を観てみた [Cinema 映画]


先週、「アリス イン ワンダーランド」を観てきた。
3D + ULTIRA である。期待はそれなりに高かった。


しかしD-BOX席を予約したのに、この映画はプログラミング上、動作しないようだった。残念。
なので、D-BOX席は電源は入っていたが、何の振動もなし。


で、期待した3D + ULTIRAだったが、AVATARと比べるとどうもな・・。
そもそもD-BOX席は真ん中よりも後方に位置していた。
個人的見解だけど、3Dは視野角いっぱいにスクリーンが広がった方がダイナミックだ。
 






Alice in Wonderland





だが、後ろから離れて観るとどうも、浮き上がったレリーフを観ているかのようでもあった。
AVATARが 3Dを前提に長い時間をかけて開発計算され尽くした映画だったからか、
はたまた前方で観て迫力満点だったから?


アリスインワンダーランドの3Dは撮って付けたかのような雰囲気ではあった。
レリーフ、浮き彫りみたいだと言ってみれば、まあ、こんな感じである。


Relief.jpg



























浮き上がってはいるが、何と言ったらいいか、無理矢理浮き上がらせた感じで少々不自然なのであった。


音響効果も先月観た時の「シャーロックホームズ」の方が鮮明に場内を回っていたような気がする。
よって、今回の3D + ULTIRAは相乗効果以前であった。


どうも、同じ条件で3Dを観比べていないので、何とも断ずることが出来ないのだけど、
こうなると、封切られた「タイタンの戦い」がどうなのか気になるところかな。











Clash of  the Titans






ということで、「タイタンの戦い」は封切られたけど、まだ観に行っていない。
これこそ、3D + D-BOX + ULTIRA のトリプル効果なので期待は高い。


しかし、D-BOX席が後方であることが難点だ。
中央前方寄りであれば、なお良いんだろうけどな・・。


まあお楽しみは後ほどということで。
それにしても、3DTVが早くも市場に投入されている。

余りの急速展開に驚いてしまうほどだ。
インターネット3Dも意外に早く出て来るのだろうかね。










Clash of the Titans 1981





30年近くも前の「タイタンの戦い」。

3Dも最新鋭CGといったSFXのない時代の映画。
だけど、オリジナルにはリメイク版がたどり着けないものがあるね、おそらく。

オリジナルの方が好きかも知れないな。











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世界初・日本初のハイテク映画館   [Cinema 映画]



名古屋に世界初・日本初の映画シアターが誕生した。

世界初というのはULTIRAのこと、そして日本初というのはD-BOXのことだ。
このハイテクを備えたシネマコンプレックスが名古屋で先月オープンしたワーナーマイカル大高だ。


こけら落とし初日は都合があったので、2日めにD-BOXを予約して観に行って来た。
日本初のD-BOXだが、座席は13席しかない。週末の予約は簡単ではないね。



IMG_0010.JPG




















よってロビーでは完売状態のD-BOXを体験出来るブースが設置されていた。平日だというのに大盛況である。


新しい映画館というのは新車の室内臭と同じ香りがする。
あれは何の臭いなのかよくは知らないが、初々しい香りが新しい映画システムへの期待をまたさらに高めてくれる。


日本初登場というD-BOX。 座席が映画のシーンと連動して動くというものだ。
座席が動くというのはUSJなどのアトラクションでは既におなじみだろうが、
D-BOXは上下左右前後と実に精緻な動きを伝えて来る。



D-BOX

通常料金+1000円、ドリンク付き。






観た映画はシャーロックホームズだったが
アクションとかホラームービーとかであれば効果はさらに増幅するだろう。


格闘シーンでのショックは当然だし、妖しい雰囲気でのスライド浮遊していくような感覚も、
この座席がもたらしてくれる。不安感は増す一方となる。


ホラーでショッキングな場面が唐突に来るとなると、心臓の弱い人はちょっと危ないかも知れない。
衝撃は通常スクリーンの3倍になりそうな気がする。
実際のところ、時に衝撃が強過ぎて振動レベルを下げたりもしたけどね。




そして、世界初というULTIRA方式、それが名古屋でお披露目となった。
明るく鮮明で大迫力の大スクリーン。さらに4way の立体音響。


ULTIRA

これが通常料金+200円。


ULTIRAスクリーンは大きく明るく鮮明である。
近くの観客が凄い音だねとつぶやいていたように、ULTIRA音響は劇的で、
音がそれこそ場内を鮮やかに回っていき、それはまるで渦巻くような音響効果。



よって、ULTIRA + D-BOX の効果はかなりのものだ。
+1200円だが初めての体験としてはお値打ちだし、妥当と言えようか。


ところで、シャーロックホームズは3Dではなかったのでこれに加えた+3Dをまだ観ていない。
3D + ULTIRA +D-BOXとなったら、これは相当な感覚、まさしくそれこそ劇的になるだろうね。

3Dが +300円なので、全て追加となると1500円の割り増しで料金はこの3セットで
2倍近くに?なってしまうが、ドリンクはついてくるし、
異次元の感覚に包まれるのなら高くはないのかも知れない。


明日、「Alice In Wonderland」で確かめてみよう、、と思ったら、
ULTIRA + 3D の組み合わせではあるものの、残念なことにD-BOXの設定はされていないようだ。


せっかくD-BOX座席を予約出来たというのにね。
ULTIRA + D-BOX + 3D のトリプルハイテクは翌週公開の「タイタンの戦い」で設定されているようだ。
まあ、お楽しみは先延ばしということで。





それにしても映画の上映方式とは時代とともに変遷していくものだ。
名古屋にはかつて世界最大のシネラマ方式スクリーンがあって
10年ほど前までは興行を続けていた。30m×11mという超巨大スクリーン。


ここでアラビアのロレンスを観たその昔が思い出される。砂漠は神々しいほど余りに美しく、
そして恐ろしいものだった。スクリーンのそれは果てしないほど広大なものであった。






 
Lawrence of Arabia  1962





ただし、せっかくのシネラマ特別設計の世界最大スクリーンで
3台の映写機を!同時に投影するシネラマ上映は私は観る機会がないままだった。
時代はその頃既に70mmに移っていたから。シネラマはもう既に過去の技術になっていた訳だった。


私がアラビアのロレンスを観たのはリバイバル上映だったが、休憩時間にロビー売店で
コーラが跳ぶように売れたという伝説的な噂はほんとうの話だ。

炎熱の砂漠に感情移入した観客は誰もが喉が渇いていたよ。
私も水を求めてロビーを彷徨った末にコーラを買って飲んでしまったし(笑)。



それから40数年。映画館はさらなる進化をようやく遂げたということだろうか。
アラビアのロレンスも ULTIRA + D-BOX + 3Dで観てみたかったね。



もし名古屋にお越しになることがあれば、時間を都合して観に行く価値は多少はあるかも知れない。
何しろ世界初日本初、世界でただ一つというのが今のところ名古屋なのだから。








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アバター AVATAR 3D 考 [Cinema 映画]



私が最初に観た3D方式のアバターはIMAX3Dデジタルシアターであった。


1月には映画館まで足を運んだものの、満席で入場できないほどの盛況ぶりであった。
出直して観たのは2月だった。




avatar3.jpg


















吹き替えではなく原語再生・日本語字幕付きである。
IMAXとは言っても本来の巨大スクリーンのIMAXではなく、IMAX3Dデジタル方式というものであった。
これは国内に4ヶ所にしかないらしい。
名古屋、菖蒲(埼玉)、川崎、箕面だけだ。


現在、国内で上映されている3D方式はこのIMAX3Dデジタルの他、
Real D、Dolby 3D、XpanDの 4方式とされている。







 





4方式すべてを観た訳でもないのに、結論的に言うと、やはり3D上映を観るならIMAX3Dデジタルに決まりということだろうか。
しかし、IMAXを観ただけで比較考量出来ないので、XpanD方式も観に行ってきた。
何と空港である。


中部国際空港セントレアではなく名古屋空港。
元国際空港の国際線ターミナルビルが今では大型商業施設に変貌して、
ショッピングセンターにシネマコンプレックスなどが併設されている。


それにしても、不思議な感じだった。入場したシネコンは以前の国際線搭乗口近辺だ、たぶん。
かつてのボーディングゲート辺りに?スクリーンがある。
昔は、ここから海外出張、海外赴任となっていた訳だし、実際その向こうは今でも滑走路があって
国内線や自衛隊機が離着陸しているのであるから。




avatar1.jpg


















そんな所で再びアバターを観た。今回はXpanD方式で、日本語吹き替えであった。
噂ではXpanDの3Dメガネは重いと聞いていたのだが、それほどでもなかった。


しかし、3D映像に関してはIMAXと比べるとかなりの落差と言っていいだろうか。
3Dメガネをかけて観ると画面が一気に暗くなってしまう。
輝度が何とも言えないほど下がってしまうのである。


それに加えて彩度も落ち込んでしまう。 せっかくパンドラの大自然が?素晴らしいパノラマ映像で
描かれているのに、場末の映画館のスクリーンより暗いトーンになってしまうのである。


翻って考えるにIMAX3Dデジタルはメガネが大きい、視野が広がる。圧倒的に明るい。
比較して観るとこれは同じ3Dとは言いながら、甲乙をはっきり付けざるを得ない。


Real DとDolby 3Dは観ていないので論評出来ないが評判を聞く限り、IMAXが凌駕していることは否定出来ないようだ。
そもそもアバターはIMAXを前提にして作られたそうだから、結局の所そういう結論になってしまう。


ただし、本来のIMAXシアターは国内には現在ないのだそうだ。
以前は新宿高島屋に巨大なIMAXシアターのスクリーンがあって、私も東京滞在中はよくそこへ足を運んだものだが、
数年前に閉館になったと思う。東京の方には残念なことだろう。


アバターの登場が10年遅かったということか。
海外には本来のIMAXシアターが繁盛しているらしいし、私もバンコク辺りに行くと
巨大スクリーンのIMAXシアターを楽しんだりしていた。アバターもそこで観たかったものである。














3Dで指摘することはそれだけに止まらない。
3Dメガネをかけて観ると本来のスクリーンよりも画面が小さく感じてしまう。


そういうことで言うと3Dを観る時には多少いつもよりは前方の席に座る方が良かろうか。
3Dは大きなスクリーンで視野角いっぱいに広がる立体映像で楽しみたいものである。


だが、それ以上に見逃すことが出来ない問題点がある。
それは字幕の問題だ。
何と立体映像を楽しんでいる時に観客に最も近づいて来るのが、この日本語字幕なのである。


これがうざったい。
当面は3Dと言えばmade in USAのオンパレードになりそうであるが、
ただでさえ、外国映画の日本語字幕を眼で追うのは相当な負荷になっているのに、
3Dではこれがまたさらに輪をかけて邪魔な存在になってしまう。


字幕が目の前に飛び出て来てしまうのだ。映画の中の主人公より圧倒的に目立つ字幕!
この辺りのことは論評されていないのではないだろうか。




avatar4.jpg





















原語を聴けない日本語吹き替えには臨場感を阻害するという向きもあろうが、結構、3Dでは翻訳字幕は大きな問題だ。
海外では外国映画を母国語吹き替えするケースが多い。それが当たり前になっていたりする。


アバターに関しても、日本語吹き替えにそれほどの違和感を感じなかった。
最近の吹き替えも音響効果は何ら問題にならないほどのレベルに来ている。


3Dに限って言えば、余りに邪魔な字幕版を避けて、日本語音声吹き替えで思う存分立体映像を楽しんだ方がいいのかも知れない。
実際、国内の3D上映館を観ると徐々に吹き替えスクリーンの方が増えている感じもするし。


それと3Dを観るのは疲れるというご意見も一部ではあるようだが、
字幕の問題を除けば、観始めてしばらくすると目が馴染み、画面の中に吸い込まれていく。
その昔の3Dに比べれば遥かに自然で観やすくなっていると思う。


画面で疲れるということで言えば、アカデミー賞を獲得したハートロッカー The Hurt Locker の方が
観ている時の疲れは3Dどころではない。
リアリティを意識したカメラワーク、編集は仕掛け爆弾から逃げ出したくなるほどの緊張感を強いるから
ファンタジーの要素のあるアバター3Dは然程疲れる訳ではなかった。


ハートロッカーが3Dであったなら? これは疲れるかな、目眩を起こすかもね(笑)。





さて先月、実は名古屋では日本初、世界初というハイテク映画館がオープンした。
ULTIRAとD-BOXだ。


先月、こけら落とし2日めにそれを堪能して来たので、近くそのことについても触れてみようと思う。
3DとULTIRA、それにD-BOXのトリプルとなったら、これは凄いね。










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アバター AVATAR  テーマ考 [Cinema 映画]

話題の映画「AVATAR」を今月2度にわたって観て来た。
一言で言うとジェームズキャメロンは何とも凄い映画を創ったものだ。

キャメロンがこの作品に関してどう語っているのか、3Dに関するインタビューしか目にしていないので
詳しくは知らないが、それはかくも明瞭である。



映画の舞台は太陽系外の惑星パンドラであるが、現代の地球を風刺していることは誰が観ても分かる。
パンドラに住むナヴィ族の地から産出される小さな鉱石が莫大な利益をもたらす。

これを開発しようとする地球の企業は株主の利益を優先しながらナヴィ族を傀儡しようという訳である。

しかし、そこに込められたメッセージはパンドラの谷のように深い、あまりに深いのである。
これは現代人にとっては禁断の、そして必見の映画だ。






 






世界の開発企業、投資家にとっては禁断の映画だ。
そこで描かれるのは利益を優先して大自然を破壊し、先住民族の暮らしを破壊して止まない連中だ。


現代社会において巨大金融バブルが炸裂したにも関わらず、世界での乱開発は止まるどころか、さらに前進を続ける。


海外投資の世界で言われるBRICS。ブラジル、ロシア、インド、中国。
急激な経済発展を遂げようとしている、これらの国々でも開発は急激だ。


ブラジルは世界不況の最中でも経済発展で注目を集め続けているが、アマゾンのでの森林破壊はどうなっているだろうか?
焼き畑農業でジャングルが毎年、大規模に焼き払われ、またエネルギー資源開発でさらに自然破壊は急速に進められて行く。


ロシアでシベリア鉄道に乗れば、すれ違う長大な貨物列車にシベリアから切り出された膨大な木材が運ばれて行くのを目にすることが出来る。
ウラジオストクを目指す列車で太平洋から輸出されるとなれば、その行き先その行方は何処なのかは日本人であればよく分かることなのだろう。
シベリアでは木材産業による森林破壊だけではなくて、天然ガス、原油産業などによる開発が止まる所を知らない。
世界にはそれを大量消費する国、人々がいるのである。



しかし世界経済危機の昨今、経済の持ち直し、さらなる発展が最優先課題になり、自然を守る思想が後退しているのではないだろうか。


世界最大の三峡ダムを建設した中国やインドでも同様だ。
エネルギー資源の乱開発は世界で時に狂ったように続けられていく。



キャメロンはこうした現代社会に警鐘を鳴らしている。
惑星パンドラに住むナヴィ族はキャメロンからすれば、かつて北米の主であったアメリカインディアンなのである。髪型も暮らしの風俗もインディアンを彷彿とさせる。



avatar jpg.jpg



















これは北米インディアンに対するオマージュなのである。私はそう受け取った。

いや、北米だけではない、中南米でも、いやアジアアフリカ、世界で、およそ先進国文明が大自然を破壊して
先住民族を追い払い、富も暮らしも収奪してきたことは歴史が証明している。

アマゾンでもシベリアでも、中国、インドでも同様で少数先住民族を押さえつけて乱開発が続けられきたのである。

日本列島でも同様だ。
琉球王国を併合し、アイヌ民族の人々を壊滅に近い状態にして来た歴史の記憶を私たち日本人は封印してしまっている。
都合の悪い記憶は抹殺しておいたがいいということだろうか。



地球の大自然を破壊し多様な生物種を絶滅に追い込み、少数先住民族の暮らしを押しつぶしてきた先進文明人類。
映画にはこの世界の有り様に深い深いオマージュが込められている。



実は自然を不可逆的に破壊するということは自らの文明も破壊することになるのである。

例えば、近代文明の祖であるギリシアは傑出した英知でもって、ギリシア文明を繁栄させたが、
アテネで丘に登れば分かることがある。

アテネの街を360度見渡せるリカヴィトスの丘で夕景時に佇めば絶景なのであるが、
一つ気になることが出て来るだろう。アテネを囲む周囲の山々には森林がほとんど見当たらない。
消え去った森林。ギリシア文明は衰退した。
自然を破壊しすぎると元に戻すのは容易でない。
いや、限りを尽くし過ぎると戻せない。

PIGSの金融危機ではそんなことにまで思いが及んでしまう。



南太平洋のイースター島。そこは草原だけの島である、現在は。
しかし、モアイを切り出すほどの技術を持ち合わせていた頃のイースター島には森林があったとされている。
しかし、小さな島で文明が繁栄し過ぎて森林を不可逆的に破壊して結果は何であっただろうか。

木材はなくなり、海洋民族であったはずのポリネシア民族が船を造ることもできなくなり、
文明は急速に消え去ったのである。
切り出す途中のモアイが数百体レベルで放置されたことが証明している。



惑星パンドラで行われた出来事はまさしく現代社会そのものなのである。
自然との調和を図ることなく資源を収奪することのみの文明はいずれ滅びる。
自然を失えば、私たち人類は生き延びることは出来ない。



過去の文明、現代の文明に思いを馳せ、人類がこの地球という星で生きていくことを私たちは考えさせられる。

映画の結末はここでは申し上げられないが、エンディングの時間帯そこに込められたオマージュの意味を深く受け止めたい映画である。







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